先日、『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』を読みました。
とても印象に残る一冊で、読み終えたあともしばらく考え続けています。
本書の中で、特に心に残った言葉があります。
それは、「自殺の観念が生きる活力になることがある」です。
この一文を読んだとき、深く共感しました。
「選択肢がある」と思えることが楽になる

何があっても生きなければならない、逃げ道はない。
そう考えてしまうと、人はとても苦しくなると思います。
一方で、「人生にはいつでもやめられるという選択肢がある」と頭の中で思えるだけで、心が少し軽くなる。
本書を読みながら、そんな感覚を思い出しました。
ここで誤解のないように書いておくと、これは「死を選ぶことを勧めたい」という話ではありません。
“選択肢があると感じられること”が、結果的に生きる力につながることもある、という個人的な実感について書いています。
初めてフルマラソンを走ったときの話

この考え方を思い出したのは、2017年に初めてフルマラソンを走ったときのことです。
当日は、朝食で食べた卵が合わなかったのか、朝から体調が悪く、会場に向かう途中と到着後の2回、吐いてしまいました。
状態は良くなかったです。
それでも「きつくなったら、いつでもリタイアしていい」と思えたことで、「とりあえず走ってみよう」という気持ちになりました。
結果的に、完走することができました。
もし「一度走ったら、必ず最後まで走らなければならない」というルールだったら、おそらくスタートすらしなかったと思います。
いつでもやめられる、と思えたからこそ続けられた。
この体験は、今でも強く印象に残っています。
人生も少し似ている気がする

マラソンと人生を同じように語るのは乱暴かもしれませんが、考え方としては似ている部分があるように感じます。
「何があっても生きなければならない」と思い込むほど、苦しさは増していく。
一方で、「無理をし続けなくてもいい」「選択肢は一つじゃない」と思えると、今を生きるハードルが少し下がる気がします。
そもそも「死」は悪いことなのか

こうしたことを書くと、「死を肯定しているのでは」と思われるかもしれません。
ですが、ここで考えたいのは善悪の単純な話ではありません。
正直なところ、「生きることは正しい」「だから死は悪い」と断言できるほど、自分は生きることを理解できていません。
生きることが何なのか、正しいのかが分からない状態で、死だけを一方的に「悪いもの」と決めつけることもできない、という感覚です。
ただしこれは、苦しんでいる人に答えを出したいわけでも、結論を押しつけたいわけでもありません。
あくまで、この本を読んで考えたことです。
人生に「意味」はなくてもいい

人生について考えるとき、思い出す言葉があります。
お笑い芸人カズレーザーさんの、
「人生に意味はないと考えている。
意味があると、それに沿った生き方をしなければならなくなるから」
という言葉です。
この考えにも、強く共感しました。
生まれてきたくて生まれてきたわけではないのに、最初から「使命」や「意味」を背負わされるのは、少し重たいと感じます。
カズレーザーさんは、「こういうことを考える余裕があるのは幸せなことだ」とも話していました。
その言葉も含めて、印象に残っています。
おわりに
『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』は、普段自分が考えている「生きること」「死ぬこと」について、すでに言語化されているような一冊でした。
「自分と同じようなことを考えている人がいたんだ」、そう思えたことが素直にうれしかったです。
まだ書ききれていないこともたくさんあるので、また別の記事で整理してみたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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